しまねこかぶり

(一応)理系女子大生の日記です。研究室に通っています。活字と2次元が好き。マイペースで人付き合いはちょっと苦手なタイプ

過去のそらまめたち

研究棟の掃除のおばさんが、また食べ物を持ってきてくれた。大量のそらまめ。研究室の人たちで寄ってたかってさやを向き、私と上司と先輩の3人で塩ゆでした。私が水を入れた鍋に、塩をどれくらい入れるかで上司と先輩が争うーー先輩が塩をどんどん入れようとするのを、上司が塩分過多になるからと必死で止めるーー。そんな2人を眺めている私には、一つの懸念があった。

 

「私実は、そらまめ苦手なんですよね。」

隠しおおせる自信がなくて思い切って言うと、ああ...お前は...と、がっかりしたような、なんとなく盛り下がった空気に場が包まれてしまって、私はスミマセン、と小さく謝った。

 

食わず嫌いなわけではないのだ。ただ、第一印象がよろしくなかった。初めてそらまめを食べたのは小学校の給食で出たとき。噛んだ瞬間、真緑色でどこかがねじれたみたいな、とにかく変な味がして、うえっと吐き出してしまいたい衝動を必死で堪えた。それ以来私は、そらまめを避けて生きてきてしまった。

 

なんとなく避けるようになってしまったものが、私にはたくさんある。歳を重ねるごとに、できることって増えていくようで実は減っていく。

 

例えばレタスを買うこと。一度冷蔵庫の中で腐らせてしまって、表面が茶色くドロドロになったレタスの姿が目に焼き付いている。スーパーの店頭に並んでいるのを見ると、あの時のレタスが脳裏をかすめるのだ。

 

例えばセカオワの曲。一度付き合った人がカラオケでよく歌っていた。彼が歌うのを友人として聞くのは好きだったけど、彼女として聞くのは好きじゃなかった。

 

例えば自分が信じているものについて話すこと。昔バイト先の人に話して、激しく罵倒されて泣かされた。

 

例えば大学の宿舎のコインシャワー。大きめのゴキブリと対面してしまったことがある。

 

数え上げればきりがないのだ。

 

生きれば過去は増えていく。失敗した記憶、目を逸らしたくなる思い出、トラウマのようなものが、どんどん私の中に積み上がっていく。そう言う不安要素を取り除きながら、なるべく私は慎重に歩きたがるので、目の前の道は次第に細くなり、足取りも重くなる。いつかは過去にがんじがらめにされて、身動き一つ取れなくなってしまうんじゃないだろうか。私は過去と同じくらい、そんな未来を恐れている。

 

 

それでもそらまめは茹で上がった。青々と。ざるで水気を切って、熱い熱いと言いながら皮をむく。一個だけ、と口に運んだ。

あの時の変な味は、一体何だったんだろう。そらまめは、普通に食べやすくて美味しかった。それとも単に、歳をとって私の味覚が鈍くなったのか。

 

「私、今までそらまめのこと一方的に避けてました。」

「そらまめはそなちゃんのこと避けてなかったのにねえ。」

いつもの先輩の軽口だけど、素直にそうだなあと思った。

「でも、もっと塩味が効いててもよかったかもしれませんね。」

「ほらー!もっと入れろって言ったでしょう!」

そうだね、まあこれはこれで素材の味を楽しめていいよと上司が言えば、先輩もまあそうですねとあっさり引き下がる。眼前の食べ物がもつ「おいしい」の価値は絶対で、小さな争いは意味をなさない。

 

生きれば過去は増えていく。だけど、良くも悪くも記憶の生々しさは薄れていくし、感覚は鈍くなる。私が恐れている過去たちだって案外、そらまめみたいなものなのかもしれないな。今すぐそこで塩茹でして食べられるような、簡単なものでもないけどね。私は、しかし、2個めのそらまめをそっと口に運んだ。