しまねこかぶり

(一応)理系女子大生の日記です。研究室に通っています。活字と2次元が好き。マイペースで人付き合いはちょっと苦手なタイプ

フィクション

座って乗り物に揺られている時間って、ひどく贅沢だと思った。だって私は、ただおとなしく座席についているだけで「移動する」という一つの目的を果たしているのだ。座りながら何もせず、ぼんやりしていたって、それは部屋で一人ぼんやりしているのとは訳が違う。わたし怠けてるなぁと、罪悪感を抱かなくていい。

 

今日は用事があって、久しぶりに電車に乗った。家を出る前から私は、体調が優れなかった。全身が重く、ひどく疲れていて、頭痛がした。時々咳も出た。しかし、何度測っても体温計が示すのは36.3℃だった。なんて無骨な数値だろうか。これから上がりそうな気配の欠片すら見せない。お前は怠けてちゃいけないんだと、体温計に叱責されているみたいだった。

 

幸い、帰りの電車では座れた。重い鞄と、もっと重い体を座席に沈める。もう私、何もしなくていいんだなぁ。私はいまやるべき最大のこと、移動するという極めて重要な任務を果たしているから、それ以外には何も。顔を上げると夕刻の、しかしまだ明るい夏の空が車窓の向こうを流れていた。穏やかな気持ちだった。

 

その穏やかな気持ちのまま私は、向かいの席に座っているあの女の子、後輩くんの彼女に似てるなぁ、と思った。面識はない。私が一方的に知っているだけだ。

 

 

彼女の顔も名前も分からず、存在しか知らなかったころ、彼女に対して私は、時に心を締め付けられ、時に涙が出そうになるほど哀れに思い、時に本気で幸せを願った。でもそれらは結局、突き詰めてしまえば、輪郭のない、つとめて気楽な感情たちだった。私は架空の存在に向かって、小説の台詞を考えるみたいに、芝居を打ち続けていれば良かった。

 

でも忘れない、あの気だるい日曜日の朝11時、ベッドの中で私は彼女を特定したのである。それまでに見聞きした情報をたよりに、facebook上で割り出してしまった。

 

画面の中の彼女は、目がくりっとした彫りが深い顔をしていて、地味な顔立ちの私とは似つかなかった。でも凄い美人という訳ではなくて、それにちょっと安心し、安心した自分に嫌気が差した。サークルの人たちと楽しげにしている写真とか、後輩くんとのツーショットとかをfacebookにあげていて、それらに後輩くんがいちいち「いいね!」していたりなんかして、それが微笑ましくも、苦々しくもあった。

 

そして、そうした気付きの一つ一つが、ずっしりと心に重くきた。重くて重くて、なんと私は、しばらくスマホを握りしめたままベッドの中で動けなかった。私は自分に驚いていた。facebookをいじり始めたときは、暇つぶし程度の軽さだったのに。ずっと幻だったものが実体を伴うというのは、しかし、それだけのことだった。

 

 

向かい側に座る女の子は、画面で見た彼女とよく似ていた。 白いワンピースを着ていて、スマホをいじっている。目が合ったらどうしよう、とどぎまぎしながら私は、しかし目をそらせなかった。直接目にする機会なんて、今後ないだろうから。どこで電車を降りるんだろう。もし終点なら、あの彼女である可能性は高くなる。私たちの大学の最寄り駅だからだ。

 

彼女はきっと知らない。数ヵ月前、彼は私の体を横から抱いて、待っててくれますか、と言った。彼女と話をつけるので、と。私は彼の腕に身を預けることも、しかし振り払うこともできず、ただ棒のように突っ立って、なんとなく星空を見ていた。ずるいなぁ、そんな言い方、と思いながら。でも私も大概で、「うーん、わかんないなぁ」と、冗談混じりに言葉を濁してしまった。そして彼も、「待ってなくてもいいですよ?」とちょっと笑って言って、私たちの曖昧さに拍車をかけた。

 

 

乗客がまばらになってきた。私の隣も空いたので、鞄を脇にどさっと置く。最近、後輩くんと彼女は別れたのだという。私は数日前にそれを聞いた。正直、何を思えば良いのか分からなかった。喜べば良いのか、悲しめば良いのか。少なくとも、私は、できることなら2人につき合っていていてほしかった。私は彼との間に起こった諸々のことを、フィクションのままにしておきたかったのだ。不純物の沢山混ざった海から綺麗な部分だけ取り出した、透明な物体のような。その身勝手な願望を、私の中で支え続けていてくれたのは紛れもなく、facebookの画面上にいた彼女だったのに。

 

 

体調が優れないのは、2人の別れを聞いた日からなのだ。しかも、日に日に疲れは溜まり、咳と頭痛はひどくなっている。なんて弱々しい心身なのかと自分でも呆れるが、穏やかな電車の揺れはそんな私を、体のだるさに感情を混ぜて誤魔化してしまいたい私を丸ごと包み込んで、目的地へと運ぶ。

 

フィクションの世界にいた彼女はいま、私の目の前で白いワンピースを着ているのかもしれなかった。電車はもうすぐ、最後の駅に着く。