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しまねこかぶり

(一応)理系女子大生の日記です。研究室に通っています。活字と2次元が好き。マイペースで人付き合いはちょっと苦手なタイプ

普段着の10月31日

ハロウィンの日に仮装して渋谷へ行く人たちは、「非日常」を楽しむのが目的なのだという。 

 

私はその日、普段通り研究室で過ごした。昼休みにスマホを見たとき、充電が既に二桁を切っているのに気がついたが、私は充電器を家に置いたままにしていた。

 

帰ってから充電すればいいや、と気長に構えていたが、夕方になると状況は変わった。実験の都合で夜に入っていた用事に遅れることが確実になり、相手に連絡する必要が出てきたのだ。だが、既にスマホの充電は切れてしまっていた。誰かに充電器を借りようにも、そのときちょうど研究棟で勉強会が開かれていて、研究室にほとんど人がいなかった。仕方なく、家まで充電器を取りに帰ることにした。

 

夕方5時前、ポケットに家の鍵だけを入れて棟を出て、自転車置き場まで歩き出すと、視界に綺麗な夕焼けが飛び込んできた。空が赤色に染まり、所々が黄色とのグラデーションになっていて、雲は明るい紫色に見えた。自転車置き場の向こうは大きな広場になっているから、赤らんだ空を遠くの方までよく見通せた。

 

こんなに綺麗な夕焼けが、こんなに身近な場所で見られたなんて。いつも見ているあの空は、朝の水色かすっかり日の沈んだ黒。夕方にあの空が見せる色を、私は知らなかった。ここに通い出してから半年以上の間、私は毎日、美しく染まったこの空に背を向けて、ぼんやりと顕微鏡を覗いていたのだ。

 

バンプの「真っ赤な空を見ただろうか」を小さく口ずさみながら、やや上機嫌で自転車を漕いだ。歌詞があやふやなところはハミングで誤魔化した。道の両側に植えられた木々が、黄色や橙に色付き始めていた。

 

15分ほど漕いで、家に着いた。郵便受けを見ると、もう夕刊が入っている。いつも受け取るのは夜だけど、この時間にはもう届いてるんだな。そう思いながら部屋の戸を開けたとき、私は一瞬、身を固くしてしまった。よく見知った部屋のはずなのに、全然知らない人の部屋みたいに見えたのだ。

 

カーテンの隙間から知らない色の日光が、知らない角度で、薄暗い室内に差し込んでいた。床に置かれた新聞、脱いだままになっている靴下、ハンガーにかかったバスタオル。空間を構成するもの全てに、秘密めいた秩序が満ち満ちていた。それは恐らく、平日の夕方という、この部屋が一人でいられる時間帯にだけ成立する秩序で、それを取り仕切っているのは無生物たちだった。呼吸する私一人だけが場違いな存在だった。

 

照明を点けるのはおろか、部屋に足を踏み入れるのさえ躊躇われた。それでも、コンセントに差したままの充電器だけは静かに抜き取って、足早にその場を去った。見てはいけないものを見てしまったような気分だったが、でもあれは確かに私の部屋なのだと思うと、なんだか可笑しくも怖くもあった。

 

再び研究室を目指して自転車を漕ぎながら、そういえば今日はハロウィンだ、と気付いた。普段着のままでも、いつもの場所をちょっと抜け出すだけで、ささやかな非日常は味わえる。