読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

しまねこかぶり

(一応)理系女子大生の日記です。研究室に通っています。活字と2次元が好き。マイペースで人付き合いはちょっと苦手なタイプ

祭りの後の感傷

大学生活最後の大学祭が終わった。私はある教室で、2人の後輩と企画の片づけをしていた。

 

20時を過ぎた頃、外からどーん、と派手な音がした。私の大学の大学祭では、最後に花火を打ち上げるのが恒例になっているので「あ、花火始まった」と私は言った。教室の窓に駆け寄った後輩が「先輩、ここから見えますよ!」というので、私たちは窓際にわらわらと集まって空を見上げた。教室が4階だったのが良かったのだろう、正面の建物の向こうの濃い藍色の空に、鮮やかな花火が上がるのが見えた。わぁーっ、とか、綺麗だねぇ、とか言い合いながら、私たちは年に一度の花火を観賞した。

 

「なんか、もう一年経ったんだなぁ、って感じですね。早いですね」。後輩の一人が言った。彼女とは去年も一昨年も一緒に企画をやって、片付けをして花火を見た。私は、本当に早いねぇ、と当たり障りのない返事をした。そして心の中で、彼女とこれを見るのも最後かな、とこぼした。これは感傷が湧いてくるかもしれないぞと身構えたが、特にそんなことはなかったので私はほっとした。

 

中高生の頃は、文化祭の片付けの時間が苦手だった。時間と手間をかけて作った看板や展示物、装飾たちが、定刻を過ぎた途端に単なるごみとして処理されていく光景はあまりにも残酷だと思った。きらきらと輝いて見えた校内が、魔法を解かれたみたいに陳腐な姿に変わっていく。そこにあるのは、明日から再びつまらない日常が始まることへの、日曜日の夕方のような憂鬱。そして、今しがたまで目に映っていた魔法をもう二度と捉えられないことへの感傷だ。

 

段ボールや模造紙で飾り立てられた教室も、友人のバンド演奏にのせて振り上げた手も、憧れの先輩のダンスを遠くからそっと眺めたことも、愛おしくて、それだけに少し怖くて、できれば永久にどこかに閉じ込めておきたかった。しかしそれは叶わぬ願いで、いつかはどこかに落としてしまうことを知っていたから、ごみが散乱した廊下で私は無性に寂しくなって、心を塞いでしまいたくなったものだった。

 

落としてしまったものに取り立てて寂しさを覚えない今の私を、当時の私は責めるだろうか。もしそうなら、花火は一瞬しか見られないからこそ美しいのだと教えてあげよう。そう考えながら、私は淡々と最後の夜空を見上げた。