ロックバンドとリスナーの距離
先日、録画していたRADWIMPSのSONGS(NHK)を見たのですが、そこで披露されていた「トアルハルノヒ」という曲がすごく良かった! アーティストとリスナーの特殊な距離感を肯定的に歌っていて、なんだか救われた気持ちになりました。
同曲はRADWIMPSが昨年11月に発表した新アルバム「人間開花」に収録されています。
全歌詞はこちら。
トアルハルノヒ - RADWIMPS - 歌詞 : 歌ネット
この曲では、彼らと、中学生の頃から彼らの歌を聴き続けてきたリスナーが出会います。
あれはまだ14のハル
それから今日までの日々
「あなたの声をずっと聴いていた」
今日はなんか楽しいな
遥か昔から「声」だけの
幼なじみで 積もる話なんかして
RADが1stアルバムを出してから10年あまり。比較的初期から彼らの曲を聴き続けてきたリスナーも、今では青年になっています。
それが今じゃ21のハル
昔の手紙の返事を
その胸に抱えてきてくれた
この年代が私とぴったり重なって。この曲に出てくるリスナーに自分を置き換えて聴いてしまうわけです。
私も、中高生の頃から今まで、「声」だけの幼なじみと沢山の言葉を交わしてきました。
それはRADではなくて別のバンドなのですが...まぁここでは置いといて笑
中高生の頃、絶望に打ちひしがれたときも、布団の中で泣いているときも、音楽プレーヤーを取り出さなくたって心の中で呼びかけるだけで、彼らと会話することができました。
彼らは、ダメな私を「僕もそうだよ、それでいいんだよ」と優しく包み込み、一緒に悩み、そしていつも一筋の光を私に与えてくれました。
知り合ってから10年近く。今も心の中にはずっと同じ声があって、その声と何度も何度も語り合って、昔から知っていた彼らの言葉に新しい意味を最近見つけたりして、私はすっかり彼らと共に生きてきているつもりです。
でも、彼らにとってはそうじゃない。
私は、彼らを愛する何十万人の中のただ一人でしかなくて、彼らは私の人生どころか名前さえ知らない。
ライブで一生懸命に手をあげたって、私は彼らの目に映る幾万の光の中のただ一つに過ぎない。
この一方通行の親密さは、異常に見えるけれど、アーティストとリスナーという二者においてはいたって自然な親密さ。悲しむべきことじゃない。
でもRADは、そんな私たちの存在があって、こんな風に歌うんです。
ロックバンドなんてもんを やっていてよかった
間違ってなんかいない
そんなふうに今はただ思えるよ宛名もなしに書きなぐった夢を
恥じらいもなく晒してきた本音を
君は受け取った 捨てずにあたためた
隣にいる友よりも 僕らは知り合えた
名前さえ知らずに
ロックバンドなんてもんを やってきてよかった
まともに話さえ できなかったこの僕が
そんなにも君と 想いを交わしあっていた
ロックバンドなんてもんを
やってきて本当によかった開き直りの心の有様を 長ったらしい無様な告白を
書きなぐり続けた 世界にバラ蒔いた
たやすく風に舞い すぐに掻き消された
でも君は受け取った 捨てずにいてくれた
風よりも小さな 僕の声を拾い上げてくれた
あのRADに、尖った曲を散々作ってきたRADに、『ロックバンドなんてもんをやってきてよかった』なんてストレートに歌われちゃうと...胸に刺さりますねぇ。
私はちっぽけなリスナーの一人に過ぎないけれど、それでも、丹念に彼らの声を拾い上げて心の中で大切に育ててきたことは、間違ってなんかいなかった。そう思えます。
だって、『ロックバンドなんてもんをやってきてよかった』って歌ってもらうことができたんですから。リスナーからロックバンドに、これ以上何を望むと言うんでしょう。
まあ、私がずっと声を聴いてきたのは違うバンドなんですけどね!!(爆)
中高生の頃、RADも熱心に聴いていましたが、なんやかんやでそんなに聴かなくなってしまいました...(でも好き)。
でも、リスナーの一方的な親愛が、作り手側からこんなにも清々しく肯定的に描くことができるんだ!というのは大きな発見で、私の中の何かが救われた気がしたのでした。RADのリスナー、幸せ者だね!!